確率論を装った<弱い>運命論と戦う自分

急に具合が悪くなる

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著者:宮野真生子 磯野真穂

Short summary

癌に侵された哲学者と文化人類学者の手紙のやり取りを本にしたものです。自分は医師ですが、こういった切り口で患者を診ることはほとんどないでしょう。医師として弱い確率論を提示し、相手がどうしたいか意見を聞き…そんなもん「どうしたら良いかわかるわけないでしょ!」と自分の中のモヤモヤを語り合っている本だと思いました。作者お二人の出会いに感謝です。

 

 

Review

 文化人類学、特に医師として働いている自分としては医療人類学にもともと興味がありました。大学で恩師とも言える文化人類学の先生にお会いしたのがそのきっかけです。文化人類学とは人や文化を「理解する」ための学問と僕は捉えています。その切り口で、患者、医療者、家族、そして何より宮野さんを捉えて行く磯野さんの手紙に自分に足りないものを感じました。そして、自分が急に具合が悪くなる“かもしれない”と言われつつ、文面では楽しそうに、そして哲学者らしく文章を綴られる宮野さんの言葉で哲学の分野も勉強したくなりました。本文中にも記載されていた『偶然性の問題』という本は読んでみようと思いました。

 さて、この2人のやり取りをみて僕は医師として自分のあり方を少し考えさせられました。僕たち医師はあくまで〇〇%の確率で□□なります。といった勉強をしてきました。その情報をわかりやすく噛み砕いて患者に提供し、必要十分な情報を提供してから患者にどうするか決めてもらう。というのが最善の情報提示だとされてきました。僕も今まではそう取り組んできましたが、果たしてそれが正しかったのでしょうか?むしろ間違っていたのでしょうか?そんなのわからないというのが答えだとは思いますが、自分の情報提示のあり方を少し考え直そうと思いました。

 そんな数字ばかりの確率論では全くイメージが膨らまない。でもあなたが決めてください。それは僕もおかしいと思っていました。医療者側が決めたら決めたで、あなたが決めたから責任とってください。それもおかしな話ですよね。。。困りました。そんな僕としての答えは「一緒に悩み、二人三脚で歩いたり走ったり、時には立ち止まったりする」ことだと思います。僕たち医師も患者さんも、未来や過去を生きているのでは無く、今を生きてるのだと思います。そんな行き当たりばったりと思うかもしれませんが、そうやって毎回毎回を真剣に向き合っていれば変な方向にベクトルは向かないと確信しています。

 本文中に体調不良を乗り越える時の3つのセクターの紹介がありました。1つ目は民間セクター、2つ目は専門職セクター、3つ目は民族セクターです。人は1、2、3の順にセクターをあたっていくといいます。医師としての僕はもちろん2つ目の専門職セクターに属しているように思います。しかし、実際はどのセクターとの関係も大切であり、何ならすべてのセクターに属することもできるかもしれません。ダグラスという研究者は私達が確率論に基づく判断を手放すのは「経験に基づく判断が不可能なとき」と結論づけています。ここを見極めるのも医師の仕事でしょう。いくら医療的なことを言っても理解してくれない人がいます。それはここに属しているからだと思いました。僕たちはいろんな患者さんの症例を経験して、判断をしています。しかし、患者さんの経験はそこが初めてです。当たり前だけど忘れてしまうこと。でも本当に重要なことだと思います。

 この本を読んで1番思ったことは、医師は医学だけでは不十分だと言うことです。もちろん医学には特化している必要があるとは思います。しかし、哲学、心理学、人類学、社会学など患者を理解しようとするための学問、自分と向き合うための学問も学ぶ必要がある。個人的には文化人類学がお気に入りなので医学と文化人類学の二刀流でやっていきたいなぁと思いました。でも哲学もかじっときたいです(笑)。もっともっと文化人類学の本を読んでみようと思います。